大久保旧居跡


monument  八雲は1902年に市谷富久町を離れ、ついえの住まいとなるこの場所に転居した。

 1903年に東京帝国大学を辞職した彼は、翌年早稲田大学の職を得たが、幸運にもこの場所は早稲田から非常に近い場所であった。
 1904年に八雲はこの家で世を去った。その家は今はなく、碑だけが残っている。

 当時の大久保は静かなところだったというが、今は商店街のある賑やかな街である。韓国人を中心として外国人が多く住んでおり、ハングル文字の看板なども見られるエキゾチックな雰囲気の街でもある。

(Netscape4.0、InternetExplorer4.0以上では、写真が切り替わります。止めたい場合は写真をクリックしてください)

東京駅からの交通手段
map
 山手線外周り(5番線)で新大久保駅下車。改札を出て右側に歩き、「大久保二丁目」バス停を過ぎて2つめの道(筋向いに東京中央教会がある)を右折して、2分ほど歩くと大久保小学校がある。この学校の門の脇に碑と、当時の写真を印刷した説明板がある(右図 B の場所)。
 バス停からすぐの路地を右折して、小泉八雲記念公園(右図 A )を通って行くことも可能である。この公園は午前9時から午後6時(土・休日は5時)まで開いている。

戻る