緊急アピール
小泉八雲の名を汚す言説に抗議する

 新聞やテレビで報じられている通り、日本国総理大臣・森喜朗の「日本は天皇を中心とした神の国であるということを国民にしっかり承知していただく」という発言が問題になっています。
 国政をあずかる者がこのような発言をすることの愚劣さは、もとよりこのような場で論じるに値しないものであることは言うまでもありません。
 ところが、小泉八雲をひきあいに出してこの発言を正当化する者がいます。

 戦後、天皇陛下と神道、日本国憲法に関する論議や本来の日本人の宗教観は、触れることさえタブーである時代が続いた。あえて無視し、口にすることを恥じる風潮さえあった。ところが、明治期の小説家・小泉八雲は、日本について「先祖伝来の土地を、死者たちが支配する国」と看破し、見事な洞察力を示した。多神教を起源に持つギリシャ人と、キリスト教の英国人を両親に持つ八雲にとり、正統的キリスト教より日本人の死生観の方に共感を覚えたのだろう。日本人の方が、自国の宗教観を解説され驚いているのが現状だ。八雲が説き、靖国神社にも代表されるように、日本は亡くなった人々を神としてあがめてきた。国家に対する反逆者・平将門でさえ神田明神にまつられている。その司祭の長(おさ)が、代々の天皇家だった。

文芸評論家・佐伯彰一氏のコメント(5月17日付産経新聞より)

 確かに小泉八雲は日本の多神教的風土に共感し、晩年の著作「日本・解明のための一試論」では装丁に「神国」という文字を使っています。また松江の島根県立中学校在職時には、生徒に対して天皇を敬うことの大事さを説いたことが知られています。
 しかし八雲は、単に天皇を中心とした戦前の国家神道を礼賛していたのではありません。国家体制から距離をおいて独自の地位を占めた出雲大社に参拝し、地蔵に見られるような素朴な民間信仰に心を寄せ、一方では息子や学生に聖書を読むよう熱心に勧めていたことも知られています。このように八雲の世界観は天皇中心などという狭量なものではなく、仏教やキリスト教的なものも含めて様々な価値観を多様に受容することによって成立しているのです。
 ここで八雲と靖国神社を並べていますが、実際には八雲は東京に移ってから亡くなるまでの8年間も、出雲大社には終生尊崇の念を持ち、宮司と頻繁に文通していますが、靖国神社には全く関心を払っていません。私の調べた限りでは、訪問した記録すら見うけられません。
 このような背景を理解することもなく、政治家の失言を正当化するために八雲の名を騙ることは、ホームページを運営する一ファンとして断じて許すことはできません。かような愚劣な発言、ひいてはその発言を行った愚昧な政治家を小泉八雲と同列に論じる行為に抗議するとともに、八雲の名を今後断じて「悪用」することのないよう、強く注意を促すものです。

2000年5月17日

「小泉八雲探訪」ウェブマスター


追記:

 このアピールについて、「神の国」発言は何の問題もない、という反論のメールを何通かいただいています。
 はじめに、反論という形ではあっても、このアピールに関心を寄せていただいたことに感謝もうしあげます。

 こうした反論は、いろんな書き方をしているものがありますが、大きな共通点が一つあります。それは、ヘルンの具体的な著書や記述を挙げたものが一つもない、すなわち、反論にあたってヘルンの本を実際に読んでいないということです。Web上でこのアピールに言及して「ヘルンの真意と違う」というようなコメントをしているサイトもあるようですが、「どう違うのか」具体的に書かれているものは一つもありません。読んでいないから、書けないのです。
 このホームページは、掲示板をごらんになればわかるとおり、ヘルン研究で名を知られているような方々にもアクセスしていただいています。時にはこうした方から助言をいただくこともありますが、これらの「ヘルンをよく読みこんでいる」方々からの反論は一度もありません。つまり「実際に著書を読めば、おのずからわかる」ことなのだと思います。
 いただいたメールには、原則として返信していますが、そのほとんどに書いてきたことを、ここに補足として記しておきます。「発言の真意が伝わっていない」などと政治家のようなことを言うつもりはなく、いわゆる「FAQ」のようなものだとご理解ください。

 この日本を「天皇を中心としている神の国」だと捉える思想があることは事実であり、そのような思想を持つ人がいること自体を否定するつもりはありません。しかしながらこうしたことは、個人の心や価値観の問題であり、政治や教育が介入すべき問題ではありません(私立の教育機関であれば、もちろん話は別です)。
 問題は「天皇を中心としている(中略)国民に理解していただく」と言っていることです。八百万の神がおわすといわれ、キリスト教など比較的近年に日本にもたらされた宗教に接する機会もあり、今もさまざまな宗教が発生しているこの日本で、自らの宗教的価値観の中心に何を据えるかは、個々人が考えれば良いことです。パーティ席上でのリップサービスとはいえ、内閣総理大臣がとやかく言うのは筋違いであり、大きなお世話といわざるを得ません。

 それでも、この発言を擁護したい人はいるのでしょうし、それも個人の勝手であるとは思います。しかしそれは、自らの信念に従って行えば良いのであって、無関係の存在であるヘルンを引き合いに出すのは愚の骨頂であり、愛読者にとっては迷惑この上ありません。黙殺することも可能ではありましたが、こうした言説というのは一人歩きするのが世の常です。その尻馬に乗って、実際に著書を読んでもいない人が、カルト教団のおまじないのように「八雲が」「八雲が」と連呼するようになっては、泉下のヘルンもさぞや無念であろうと思い、「それは違うのだ」というメッセージを明確に残すことにしました。
 このような趣旨をご理解いただきますようお願いすると共に、これを機にヘルンの著書に接し、その面白さ、深さに触れていただければ幸いです。

2002年1月4日

「小泉八雲探訪」ウェブマスター

追伸:
 このアピールに対する反論のメールで、驚かされたことがもう一つあります。それは、1通を除いて、「日本の歴史」「日本の伝統」というような表現を連ねているにもかかわらず、伝統文化の根幹であるはずの「言語」にはきわめて無頓着であること、具体的に申し上げますと、初歩的な言葉づかいの間違いが非常に目立つということです。それらのメールを読むたびに、こうした人たちの言う歴史や伝統とは何なのだ?と困惑させられています。

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