小泉八雲略歴
(1850年6月27日 - 1904年9月26日)

 パトリック・ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の軍医チャールズ・ブッシュ・ハーンを父に、ギリシア人女性ローザ・カシマチイを母に、ギリシアのレフカダ島に生まれた。

 アメリカでジャーナリストとして活躍した後、1890年に雑誌専属の旅行記者として来日した。しかし横浜に着くと間もなく、彼は契約の問題からこの仕事を忌避した。

 それから彼は松江に移り、島根中学の英語教師に赴任する。松江で彼は生涯の親友・西田千太郎と知り合い、武家の娘小泉セツと結婚した。

 1891年に彼は熊本に移り、旧制第五高校講師として3年間勤めた。当時の学長・嘉納治五郎は柔道を世界に普及させた人物として知られている。

 その後、神戸で新聞記者として働いた彼は1896年、この地で日本に帰化して、名前を小泉八雲と改めた。この名前は「古事記」からとったものである。

 その年彼は東京に移り、東京帝国大学の教員となった。そこでは学生の尊敬を集め、彼らの中から多くの者が文学の世界で活躍した。

 さらに彼は多くの日本に関する本を書き、アメリカで出版した。それらは西洋において日本の風土や民俗を紹介する役割を担った。

 1903年に彼は帝国大学を辞職し、翌年早稲田大学で教鞭をとるが、その年に狭心症で世を去った。



主要作品
知られぬ日本の面影(Glimpses of Unfamiliar Japan)
東の国から(Out of the East)
心(Kokoro)
霊の日本(In Ghostly Japan)
影(Shadowings)
日本異聞(Japanese Miscellany)
神国日本:一つの試論(Japan: An Attempt at Interpretation)
怪談(Kwaidan)

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